『証言TIF~アイドル戦国時代とはなんだったのか~』第5回:元SUPER☆GiRLS・八坂沙織×宮崎理奈「パワープッシュアーティストみたいなのがあって、イトーヨーカドーさんがスポンサーについたり」

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2010年、品川ステラボールで第1回が開催され、今ではアイドルシーンに欠かせない一大興行にまで成長した『TOKYO IDOL FESTIVAL』(通称TIF)。そのムーブメントの渦中にいたアイドルたちの証言をもとに、TIFがアイドルシーンに与えた影響について迫っていく今連載の第5回に登場するのは、2010年に華々しいデビューを飾ったSUPER☆GiRLSから八坂沙織と宮崎理奈。『MAX!乙女心』『女子力←パラダイス』で確実に“売れ線”を走り、テレビCMで見ない日はなかったあの時代、栄光の裏側でメンバーたちが抱えていた心境を語った『BUBKA12月号』掲載インタビューを一部抜粋してお届けする。
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━━本日はお集まりいただきありがとうございます。
八坂沙織:こちらこそありがとうございます。でも、ちょっと恥ずかしいです。この連載って超頑張ってきた人たちのお話じゃないですか。
宮崎理奈:わかります! 私たちは余裕こそなかったけれど、みんなほど言えることがないんですよね(笑)。これは謙遜でもなんでもなく、本当にそうなんです。
━━いや、大変な時代を生き抜いたグループじゃないですか。SUPER☆GiRLSはスタートからスケジュールがすごくて。2010年に結成して、8月にa‐nationでお披露目をした翌日にTIFの2日目に参加されています。
宮崎理奈:ちょうどさっき、そのスケジュールを見ていて。引いたよね?
八坂沙織:引いたね。愛媛からの品川(笑)。私たちがブログを始めたのがTIFの何日か前なので、記録が残ってるんですよ。まず8月5日に愛媛の公園でa‐nationの前夜祭みたいなイベントがあって、その公園のイベントが初めてのスパガのライブでした。
宮崎理奈:そうだそうだ、全然お客さんがいなかったやつですね(笑)。
八坂沙織:次の日にa‐nationのなかの小さいステージでふた回しくらいして、その次の日にTIFに行ったという感じです。
宮崎理奈:そのときはまだアイドルとしての自覚がなかったです。6月に結成して、そこから2カ月間で3曲しか覚えられなかったんですよ。だから一人前ではまったくなくて、素人同然でした。それなのに、私は地方組だったのもあって、品川プリンスホテルに泊まったのはよく覚えてます。
八坂沙織:そうだったの? いいな!
━━会社的にもSUPER☆GiRLSに予算をつけていたというか、かなり力の入ったスタートだったということですよね。
八坂沙織:プロデューサーがアイドルをすごく好きな方だったので、しっかり構想とかも考えてくれてくださっていて、それをしっかり社長にプレゼンして、みたいな感じだったと思います。avexってプッシュ期間があるんですよ。パワープッシュアーティストみたいなのがあって、大体2年間は力を入れてもらえるんですよね。私たちはそれだったのもあって、イトーヨーカドーさんがスポンサーについたりとかしていて。
━━たしかにSUPER☆GiRLSと言えばヨーカドーというイメージはあります。初回のTIFのDVDを見返すと、お披露目間もないライブ……というか東京では初めてだったからか、コールもまだない状態なんですよね。
宮崎理奈:そうでした。お客さんも得体の知れないものを見る感じだったと思います。
八坂沙織:その年の12月にアルバムでデビューしたんですけど、それまではオーディションで用意された3曲しかなかったんですよね。
宮崎理奈:それしかできなかった。3曲をこするように披露してましたね。
━━「アイドルとしての自覚がなかった」という話が出ましたが、アイドルブームの始まるなか、自分たちもそこにいるという感覚はありましたか?
宮崎理奈:どうでしょう。当時は本当になにも考えてなかったと思います(笑)。
八坂沙織:私はハロプロが絶対的存在で、この時期にアイドルになったみんなもきっとそうだったと思うんですけど、ああなりたいと思っていたんです。格が違うという感覚だったので、それと同じなわけがないと思ってたんですよね。
宮崎理奈:輝きが違いましたもんね。でも、ハロプロ以外は横並びのイメージはあったかもしれないです。ももクロとかも同じ感じでいたといいますか。
八坂沙織:ももクロちゃんとオールナイトニッポンを一緒にやったりしたよね。
宮崎理奈:だから誰かが突出しているとかではなくて、みんな同じところにいたイメージがあります。でも、それなのに私たちはほかのグループと仲良くはしてなかったんです(笑)。
八坂沙織:それこそTIFくらいしかほかのアイドルと接する機会がなかったので。対バンイベントとかにもほぼ出てなかったですし。
宮崎理奈:初期は特にそうだよね。
八坂沙織:浅川(梨奈)なんかはまわりと仲良くするタイプだから、そのあたりの時代から変わっていった感じがしますけど、最初の頃は交流してなかったですね。しかも私たち、ヨーカドーさんが用意してくださったピンク色のラッピングバスで移動してたんですよ。それは多分、超イヤな感じだったと思います(笑)。
宮崎理奈:しかも私たちはそれにも気づいていないんですよ。恵まれていることがわかってなかった。変な言い方だけど、最初からそうだったので、それが当たり前に思ってしまっていました。
━━横並びの感覚があった一方で、少し違うところにいたと。
八坂沙織:12月のアルバムデビューでフルライブを行うのが目標で、そのための準備が多かったのもあって、そこまでライブをしてなかったんです。だからこそTIFはよく覚えているんですけど。後夜祭でパイ投げをしたこととか(笑)。
宮崎理奈:してましたね! 年齢制限があって、私のひとつ上以上のメンバーしか出られなかったんです。こっちは出たいのに、まだ20時までしか仕事ができなかったのですごく悔しかったのを覚えています。でも、出たメンバーはすごく反省して帰ってきたよね? 全然笑いを取れなかったって。
八坂沙織:バラエティみたいなのも初めてだったから。そういうのに出たら必ず爪痕を残さないといけないとマネージャーに言われたんですけど、残せるわけがないじゃないですか。
宮崎理奈:アイドリング!!!さんとか、本物の人たちがいましたからね。
八坂沙織:悔しくて泣きながらパイのクリームをシャワーで流しました(笑)。
━━デビューしてまだ3、4日の人が爪痕を残すのはほぼ不可能なのではと思います(笑)。
宮崎理奈:事務所によってはトークとかバラエティのレッスンもあったりするじゃないですか。私たちはそういった教育はなかったんですよね。
八坂沙織:それなのにバラエティの仕事は決まっていくんです。そのたびに爪痕を残せと言われ、でも残せず(笑)。うちら『しゃべくり007』に出たのになにもやれなかったよね。
宮崎理奈:ただ自己紹介して終わりました(笑)。
━━そう考えると、新人としては破格の待遇と言いますか、すごい場をたくさん提供されてきたんですね。
八坂沙織:いま考えると恵まれすぎていて、そのときに自分たちがもっとできてたら未来が変わってたんじゃないかなと思います。
宮崎理奈:ほんとうにそう!
八坂沙織:いまだったらそこそこの結果を残せるなと思うんですけど、当時の私たちにはあまりにもわからないことが多すぎました。デビューしてしばらくしてから日テレで『情報満喫バラエティ 週末にしたい10のこと!』という番組にレギュラーで出させてもらうことになるんですけど、サンドウィッチマンさんとナイツさんとアンジャッシュさんと一緒だったんですよ。
━━ものすごい並びですね……。
八坂沙織:だから現場で学ぶことは多かったですね。その繋がりから、児島さんにMXの番組(『Girls TV! feat.SUPER☆GiRLS』)でMCしていただいたりもしました。あとは『超絶歌劇団』というスパガの自主イベントで、演劇とバラエティのコーナーを設けていただいて、毎回芸人さんをお呼びして授業してもらうというのもあって、学びの機会は多かったとは思います。
取材・文/南波一海
八坂沙織プロフィール
やさか・さおり| 1989年2月16日生まれ、東京都出身。2010年、「SUPER☆GiRLS」の初期メンバーとして活動を開始。グループの初代リーダーを務めた。2014年グループ卒業後は、俳優・モデル活動を経て、アイドルグループ「終末のアンセム」「TubeRose」のプロデューサーを務めている。
宮崎理奈プロフィール
みやざき・りな|1994年2月21日生まれ、大分県出身。2010年、「SUPER☆GiRLS」の初期メンバーとして活動を開始。アイドル活動と並行して俳優としても活躍。2018年、8年間在籍した同グループを卒業。現在は、俳優活動と並行して、SUPER☆GiRLSの一部振付、公演プロデュースなども担当している。









