『証言TIF~アイドル戦国時代とはなんだったのか~』第3回:元東京女子流・新井ひとみ×山邊未夢「『オリコンに入りました』って聞いて。喜びながら登校したのを覚えています」

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2010年、品川ステラボールで第1回が開催され、今ではアイドルシーンに欠かせない一大興行にまで成長した『TOKYO IDOL FESTIVAL』(通称TIF)。そのムーブメントの渦中にいたアイドルたちの証言をもとに、TIFがアイドルシーンに与えた影響について迫っていこうと思う今連載の第3回に登場するのは、TIF2010にも出演し、間違いなくアイドル戦国時代の筆頭となっていた「東京女子流」から新井ひとみと山邊未夢。当時のシーンを振り返りながら、様々な事象に振り回されながらも軸である“音楽”だけは真摯に歌い続けてきた怒涛の15年間について語った『BUBKA10月号』のインタビューを一部抜粋してお届けする。
15年間おんなじキモチ
──2010年のTIF当時、東京女子流のみなさんは小中学生ですよね。どんな記憶がありますか?
山邊未夢:テンションが上がったのは記者会見の時です。結構朝早くだったんですけど、ケータリングでマックを用意していただいて。
新井ひとみ:よく覚えてるね。
山邊未夢:当時、年が一番近くて仲良くしてもらっていたももクロさんと一緒にマックを食べたのが良い思い出です。私はたしか中一だったので、マックが嬉しい年頃だったんですよ。それだけでテンションが高くなって、そのまま記者会見に臨みました。
──平和なエピソードをありがとうございます(笑)。アイドル戦国時代のムードを肌で感じるようなところはありましたか?
山邊未夢:私たちは結構のほほんとしていたというか。今ってアイドルの数も多いかと思うのですが、当時はそんなにグループ数も多くなかったというのもあって、みんなで仲良くこのシーンを盛り上げていこうね、みたいな雰囲気だったと思います。それぞれ違う事務所だけど仲間感がすごくありました。初めて会った人でも「女子流ちゃんちっちゃい! 可愛い!」みたいな感じで、みなさん優しくしてくださったり可愛がってくれていたので、それに甘えてお姉さんたちについていけばなんとかなるでしょという感覚がありました。
新井ひとみ:特にアイドリング!!!さんやバニビさんはいつも「女子流ちゃん!」と言ってくれる存在でした。あとは、ももクロさんとかスマイレージさんとはご一緒する機会が多くて、楽屋も隣だったりするんですね。当時よく耳にする楽曲というのがそれぞれのグループにあるじゃないですか。それを口ずさむのが聞こえてきたりするんですよ。「え、あの曲歌ってくれてる?」ってすごくテンションが上がった記憶があります。ただ、一緒に走っているので仲は良いんですけど、ライブになるとやっぱり燃える部分はありました。新しいファンの方にも知ってもらえるチャンスなので、芯となる部分では燃えてました。
──初期の女子流はみんなの妹的な存在だった一方で、ライブをやれば大人びた楽曲のクールさもあり、そのギャップも魅力でしたよね。当時の映像を見返すと驚きます。
山邊未夢:私たち、小さすぎますよね(笑)。
新井ひとみ:当時は「女子流ちゃんたちの楽曲すごいよね」みたいに言ってもらえても、自分たちは「ふーん、そうなんだ」という感じであまりわかってなかったです。今になって映像を見たりすると、当時、みなさんはこういう思いで言ってくれていたんだなというのがわかるようになりました。
──15年前の曲を今でも違和感なくセットリストに組み込めるのはすごいことですよね。グループによっては過去の曲を今歌うと時代とのズレを感じることもあるわけで。
山邊未夢:当時のスタッフさんが何十年も先を見据えて、ずっと歌えるようにと作ってくださったのは愛だなと思います。当時は小学生とかだったので、渋い曲を理解できてなかったんですよね。ほかのグループさんは元気な曲とか盛り上がる曲が多いのに、なんで私たちにはないんだろうっていうのが昔の悩みではありましたね。今はずっと長く歌える、15年前の歌とは思えない歌を歌えていて。いまだにいつ歌っても新鮮な気持ちでいられます。
新井ひとみ:当時のスタッフさんからは「何があっても歌い続けろ」と言われていて。それはすごく記憶に残ってます。
──周囲に流されず己の音楽を信じようと。まわりが気になる年頃の小中学生には厳しい教えですね(笑)。
新井ひとみ:でも、私たちは真面目な軍団なので(笑)。メンバーの増員もなく、その言葉を信じてひたすらに追求して、歌やダンスのブラッシュアップをしてきたのがよかったのかなと感じています。
──結果、ここまで長く続いたグループは数えるほどしかいないという。
新井ひとみ:他のグループさんはメンバーが変わったりして続いていくことはありますけど、私たちは不思議ですよね。女子流がこのメンバーでここまで長く続けてこられたのは、最初は他人という感じだったのに、それが恋人同士みたく良い部分も悪い部分も丸く削られていって、パズルみたいにはまっていったからだと思います。きっとトゲトゲしたこともあったし、悩んだこともあったんですけど、その人はその人でしかないということが見えてきて、お互いを尊重して接していくことができるようになっていったんです。みんなそれぞれが意見を持っているんですけど、ケンカにもならずに「それは新しいからやってみようよ」って寄り添えるようになったのも自分たちで成長を感じる部分です。
──みなさんの意志や人となり、楽曲の力が噛み合ってこその15年なのだなと思います。2010年のグループのデビューとその後のアイドルブームがうまく重なったわけですが、やればやるほど盛り上がっていくような実感はありましたか?
山邊未夢:ありました! やればやっただけライブ会場も大きくなっていったんですよね。『Limited addiction』あたりはそれを特に感じていて。このシングルの時、学校に行く前に「オリコンに入りました」ってマネージャーさんから電話で聞いたんですよね。まだLINEもなかったので、家の電話にかかってきたんです。やった!って喜びながら登校したのを覚えてます。それこそTIFで言うと、私たちは2014年のスマイルガーデンの大トリだったんですけど、『おんなじキモチ』が始まったら、遠くのほうからお客さんがダッシュしてくるんですよ(笑)。その光景はすごく覚えてます。
──どのグループにも誰もが知る代表曲がいくつかあって、スマイルガーデンでそういう曲がかかると遠くまで響くから人が集まるんですよね。
山邊未夢:自分たちでも『おんなじキモチ』はフェスで無敵の曲だと思いますし、『鼓動の秘密』(2011年)『Limited addiction』(2012年)あたりのアルバムが今に至る女子流の基盤を作ってくれたのも大きかったと思います。
新井ひとみ:初ライブは渋谷のライブハウスで、ファンの人との距離がすごく近いのに驚いたりしたんですけど、そこからちょっとずつ箱が大きくなっていって、いろんな方たちと交流するようになって。やっぱりももクロさん、スマイレージさんと絡み出してから一気に輪が広がった記憶があります。
山邊未夢:ももクロさんとの合同リリースイベントとかもありましたね。
新井ひとみ:アイドル戦国時代と言われたものが始まったくらいに私たちも登場できたので、その波に乗れたんですよね。もしその波がなかったらここまで続けるのも無理だったと思います。
──波に乗ったというのもあるし、波を作った側だとも思います。音楽性の高さからアイドルファン以外の層も入ってきたわけですし。
山邊未夢:それは当時のスタッフさんたちが天才だなと思います(笑)。あんな子供にあんな曲を歌わせる発想……自分が大人になって改めて、楽曲もコンセプトもすごかったなって。目の前のことじゃなくて、何年も何十年も先を見据えて考えるのって難しいじゃないですか。
──浮き沈みの激しい音楽業界で長期的な目線でやっていくというのも異例だったと思います。出発点としては「少女時代」が参考のひとつとしてあって、小さい頃から研鑽を積み、大人になって花開くようにという設計だったんですよね。
山邊未夢:懐かしいですね。でも、こんなに長く続けられるとは思ってなかったです。やって2、3年くらいかなと。私はもともと歌もダンスもやりたい人ではなかったんですよ。当時はアイドルのこともわからなかったですし、でもまぁ経験としてできればいいかな、くらいの軽い気持ちで始めたので、ちょっと楽しんだら終わりにしようという感覚だったんです。活動を始めて、女子流のコンセプトである「音楽の楽しさを歌って踊って伝えたい」ということを自分自身も教えてもらって、歌とダンスはこんなに楽しいんだ、アイドルのシーンってこんなに素敵なんだっていうのを感じたからこそ、ここまで続けてこれました。
──山邊さんはある時期から歌がグッと良くなりましたよね。今では本当に素晴らしくエモーショナルな歌声で。昔はそうではなかったみたいな言い方になってしまいますが……。
山邊未夢:いや、昔はヤバかったので! レコーディングするたびにディレクターさんから「この音痴」って怒られてましたから(笑)。
取材・文/南波一海
新井ひとみプロフィール
あらい・ひとみ|1998年4月10日生まれ、宮城県出身。グループ最年少、立ち位置はセンター。2019年にはソロアーティストデビューを果たしソロ楽曲『デリケートに好きして』をリリースしている。
山邊未夢プロフィール
やまべ・みゆ|1996年6月24日生まれ、千葉県出身。ギャル心を忘れないグループ最年長。女子流のファッショニスタとしてシングルの衣装制作にも携わることもある。










