『証言TIF~アイドル戦国時代とはなんだったのか~』第10回:さくら学院・武藤彩未×飯田らうら「正直、中3で辞めるというのを信じてなくて。そう言われてはいたけど、嘘でしょって」

7月31日から8月2日の三日間、東京のお台場・青海周辺エリアにて、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2026」(通称TIF)が開催された。
2010年に第1回が行われ、今ではアイドルシーンに欠かせない一大興行にまで成長したTIF。そのムーブメントの渦中にいたアイドルたちの証言をもとに、TIFがアイドルシーンに与えた影響について迫っていく本連載の第10回に登場するのは、TIF2010がデビューライブであり、その後も学院活動に欠かせない行事となるなど、TIFと共に歴史を刻んできたグループ「さくら学院」から武藤彩未と飯田らうら。卒業年度は違えど、戦友としてアイドル戦国時代を渡り歩いた彼女たちの汗と涙の学院生活を振り返ったインタビューを一部抜粋してお届けします。
デビューライブで転入式
――さくら学院は2010年のTIFがデビューライブで、その前の記者会見から出ているんですよね。
武藤彩未:そうなんです。会見は代表で出てくれたのがらうちゃんでした。
飯田らうら:聞いた話で覚えているのが、彩未たち中2組の3人がちょうど期末テストか中間テストの日と重なっていて。
武藤:リアル学校の?
飯田:そうそう。さくら学院はちゃんとテストに出るという決まりみたいなものがあったので、職員室の先生(さくら学院スタッフ)から3人で行ってくれと言われて、当時のミニパティ3人、堀内まり菜ちゃんと杉崎寧々ちゃんと私で出た記憶があります。
武藤:まだ小学生の3人が、お姉様方に囲まれて。ももクロさんとかもいらっしゃったし。
飯田:もし彩未たちが出てたら、さくらの前の可憐Girl’sつながりで知ってる方もいたと思うんです。一応、可憐Girl’sの最後のライブに妹分みたいな感じでミニパティは出させてもらったから、知ってる人がもしかしたらいたかもしれないけど、その会見にいた記者の方たちからしたら「あのちっちゃい子たちはなに?」みたいな感じだったんじゃないかなと思います(笑)。
武藤:その立場だったら絶対緊張するよ。まだステージもやったことない状態だったし。
飯田:なにを聞かれたかは細かく覚えてないんですけど、「なんでこの3人なんですか?」と聞かれて「お姉さんたちがテストなので私たちが代わりに来ました」とそのまま伝えて。あとはなにも覚えてないです。緊張もしてたし初めてのことだったし。あんなに大勢の前に立つのも初めてでしたから。
――ミニパティとしてはそれ以前から頻繁に活動していたのでしょうか?
飯田:最初の1年くらいは食育ユニットとしてパティシエの柿沢安耶さんのアシスタントみたいな感じで一緒に料理したりしてたんですけど、歌は『ハッピーバースデー』の1曲しかなくて。特にリリースもしてなかったので、アイドルというよりも「みんなのうた」的な雰囲気のユニットだったと思います。
――まだアイドルブームの手前というのもありましたしね。その後、ブームと重なるように始動したのがさくら学院で、品川で開催された第一回目のTIFでデビューを果たすわけですが、そのときのことは覚えてますか?
武藤:うっすら覚えてます。結成して数カ月で持ち曲が『夢に向かって』の1曲しかないので、もちろん披露したのも1曲なんですよ。よく呼んでもらえたなと思います(笑)。出番は本当に一瞬で終わっちゃいました。トーク入れて10分くらいで。
飯田:ひとりずつ自己紹介してね。
武藤:それまではマイペースな感じで進んでいたんですけど、TIFをきっかけに活動が本格化して。
飯田:ここで知っていただけたからワンマンライブできるように曲を増やしていこうということで、それから一気にレコーディングとか振り入れが始まった記憶があります。
――当時のライブ映像を見ると当たり前ですが初々しくて。
飯田:彩未たちの卒業のライブとかと見比べると、よくこれでステージ立とうと思えたなっていうパフォーマンスですよね(笑)。出させていただいたことは感謝でしかないですね。
武藤:2年でだいぶレベルアップしたんですけど、1回目のTIFはまだちょっと……(笑)。ひたすら練習したんですけどね。楽屋でもずっとフラッグを振っていて。
飯田:曲の最後にフラッグを振って、音がなくなったあとにパッと下ろすんですけど、みんなでどうやって合わせるかを何度も何度も練習したよね。
――時代を考えると、さくら学院のパフォーマンスも洗練されていたと思います。
飯田:いやいや、初期の映像を観るとうわ……ってなりますよ(笑)。
武藤:そもそも急に始まったしね。さくら学院は、それこそ戦国時代の流れに乗って、アミューズ内でグループを作りたいっていうことで始まったんです。
飯田:レッスンしますという感じで始まったよね。1年間くらいレッスンオーディションみたいなのがあって、後半からメンバーが固まってきたなと思ったら、このメンバーでデビューします、こういうのに出ます、みたいに言われたのがTIFだった気がします。
武藤:別にデビューするとも言われてなかったので、私たちからしたら普通に事務所内のレッスンだったんですよ。 そうしたら、会うメンバーがどんどん同じになっていって。
飯田:人数も減ってきてね。それでデビューと言われて「これ、お仕事だったの?」みたいな(笑)。
武藤:だからTIFは私たちが本当に活動するんだと実感した場所でもありますよね。しかも、TIFから(水野)由結ちゃんと(菊地)最愛ちゃんのふたりが転入ということで入ってきたんです。
飯田:だから当時配っていたうちわの写真は10人じゃなくて8人でした。品川のホテルの会場で自己紹介作文を読んでいて、ここで転入生を紹介しますということでふたりが入ってきたんだよね。見ている人たちはどう思ったんだろう?
武藤:私たち全員が初ステージだったので転入もなにもないからね(笑)。いま思い返すと面白いですね。
強豪校の部活動
――ちなみにその頃、アイドルブームを実感することはありましたか?
武藤:可憐Girl’sのときとは違いましたね。TIFみたいにみんなで集まるイベントもなかったですし、同時代の女性のグループさんと会うこともなかったので。それはさくら学院になって一気に実感しました。
――飯田さんから見た武藤さんは、経験者としてのすごみのようなものは感じたりしたのでしょうか。
飯田:それで言うと、私と彩未は20年以上の仲で、可憐の前から知り合いだから「彩未、歌始めたんだ」と思ってたんですよ。
武藤:私も歌手になりたくて始めたわけではなかったので。お話をいただいて、オーディションを受けるだけ受けてみるかということで、素人が受けてみたらたまたま受かっちゃったんです。だから小さい頃から私を知ってる人は、急に歌い出したという感覚だったと思います。
飯田:彩未のママとうちのママが「歌始めたの?」「彩未は苦労してます」みたいなやりとりをしてました(笑)。
武藤:あはは(笑)。可憐は私以外のふたり(島ゆいか・中元すず香)が経験者だったので圧倒的な差があって、私は泣きながら頑張ってました。
飯田:でも、可憐Girl’sの最後のライブを観たときに彩未ってすごいんだなと実感しました。小さい頃から輝きが違ったので。めっちゃキラキラしてる子いる、みたいな。
武藤:嬉しい。子供ながらにそんなこと思ってたんだね(笑)。
飯田:すごいなと思ってたら、まさかの一緒のグループでやることになったので、嬉しいという思いのほうが大きかったです。
――TIF以降は活動が活発化していきます。その年の11月に横浜赤レンガ倉庫で「さくら学院祭☆2010」があって、定番化していきますよね。
飯田:そのタイミングくらいでアルバムとかを出してるのかな?
――『夢に向かって/Hello ! IVY』のシングルが直後に出てます。
飯田:そうだ! モノコムサさんとコラボして、コムサさんでもイベントさせていただいて。
――アルバムは年度末の3月リリース予定だったのが、震災があって4月に延びたんですよね。
武藤:ああ、そうでした……。私は震災の当日はさくらの仕事で東京に行く予定だったんです。学校を早退して、家に戻ってきたらそれが起こって。もちろん電車も止まっちゃってるんで行けなかったです。 地方の子もいて、仕事とかの用事のたびに(東京に)出てきてたので、その期間に一度止まりました。
飯田:止まったね。ちょうどリハーサルに行く前で。私も家を出ようと思ったら「ん? なんか揺れてない?」となって。みんなで大丈夫か連絡取り合いましたね。そこからは、しばらくお休みになるから自分たちでできることをしてください、となって。家でバトンの練習をしてました。
武藤:バトン部ってどのタイミングで始まったんだっけ? 2年目じゃなかった?
――バトン部はさくら学院よりも少し前にCDをリリースしているので始まってます。
武藤:え! そうでしたっけ(笑)。
飯田:そうなるのもわかるよ。10年と11年はほかの年度と違って曖昧なんですよね。それ以降は毎年卒業する人がいるので、この人が一番上のときの出来事として覚えてるんですけど、最初は卒業する人がいなかったので。なにが10年でなにが11年だったかがちょっと混ざっちゃうのかもしれない。自分たちもとにかく必死でしたし。
武藤:たしかにそうだったかも。部活動はひとつずつ徐々に始まったというより、全員にそれぞれ振り分けられてたよね。バトン部、新聞部、重音部、クッキング部。帰宅部もあったよね?
飯田:うん。たしか、赤レンガで部活動の全部を披露……した?
――です。記憶が定かでないなか、探り探りで話してるのがいいですね(笑)。震災以降、日本を元気にしようという動きのなかでアイドルブームがブーストされていき、さくら学院もアルバムをリリースしたことで全貌が明らかになり、より広がっていった印象があります。
武藤:特に私たちの代は最初がゆっくりだったというのもあるけど、後半に一気に詰め込んだ感はありました。
飯田:彩未たちのいた頃の後半となると、初めての卒業だったから「嫌だな、いなくならないでよ」という思いが強かったです。
武藤:正直、私たちも中3で辞めるというのを信じてなくて。
――ほんとうにそのシステムでいくんですかという。
武藤:そう言われてはいたけど、嘘でしょって。やっとこんなに盛り上がってきていて曲も増えてこれからというときに、本当に辞めるとかあるのって思ってました。みんなも辞めてほしくないという気持ちでいてくれたので、最後のほうは悲しくて辛くなってたよね(笑)。
飯田:「このまま終わるの? 中等部4年みたいなのないの? 引っ張ってくれていた3人がいなくなったら残ったメンバーでどうしていくの?」っていう。彩未が絶対的リーダーという思いが後輩たちにはあったし、次の中3の代は、すぅ(中元すず香)ひとりだから心配で。だから当時は忙しいというよりも寂しさ、悲しさのほうが大きかったと思います。
武藤:2011年度のアルバムを作ってるときは、(中3の)3人の曲も作られたので、そこで改めて実感して。
飯田:ジャケット写真も海外の学校の卒業みたいな白い衣装で撮ってね。
――角帽をかぶってましたね。
武藤:そうですそうです。ほんとうに卒業するんだって思いました。全然辞めたくなかったんですけど(笑)、そこはルールとして徹底していて。私たちは2年しかいられなかったので短いんですよ。らうちゃんは小学生から入ってるから長くいられたよね。
飯田:4年。最愛・由結が小5からだから5年。
武藤:それでもアイドルで言ったら短いほうなのかもしれないですけどね。
取材・文/南波一海
武藤彩未プロフィール
むとう・あやみ 1996年4月29日生まれ、茨城県出身。幼少期よりモデルとして活動し、2008年には「可憐Girl’s」としてデビュー。そして2010年より「さくら学院」の初代生徒会長として活動。グループ卒業後はソロアーティストとして活躍。4月26日に「武藤彩未 30th Birthday Live」がBillboard Live YOKOHAMAにて開催決定。
飯田らうらプロフィール
いいだ・らうら 1998年4月9日生まれ、東京都出身。2009年より食育をテーマに発足したユニット「ミニパティ」のメンバーとしてデビューし、2010年4月から「さくら学院」のメンバーとして活動。初代パフォーマンス委員長も務めた。グループ卒業後は、可憐Girl’s元メンバーの島ゆいかと音楽ユニットを結成。現在は俳優、タレント業を中心に活躍の場を広げている。
【BUBKA (ブブカ) 2026年 5月号】
⇒ Amazonで購入










