『証言TIF~アイドル戦国時代とはなんだったのか~』第6回:でんぱ組.inc・古川未鈴×相沢梨紗「『ハロプロやりたかったな』って言ったら、夢眠ねむさんに『てめえはでんぱ組.incなんだよ!』って肩パンされて(笑)」

7月31日から8月2日の三日間、東京のお台場・青海周辺エリアにて、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2026」(通称TIF)が開催された。
2010年に第1回が行われ、今ではアイドルシーンに欠かせない一大興行にまで成長したTIF。そのムーブメントの渦中にいたアイドルたちの証言をもとに、TIFがアイドルシーンに与えた影響について迫っていく本連載の第6回に登場するのは、デビュー当初は異端児扱いされながらも、2010年代を代表するアイドルとなったグループ・でんぱ組.incの古川未鈴と相沢梨紗。間違いなく“マイナスからのスタート”からメインカルチャーへと登りつめた彼女たちが、激動の戦国時代とTIFとの因縁を振り返ったインタビューを、『BUBKA1月号』より一部抜粋してお届けする。
15年後、母として
――でんぱ組.incがエンディングを迎えたのが今年のことというのが驚きですね。
相沢梨紗(以下、相沢):まだ1年経ってないんですよね。
古川未鈴(以下、古川):遥か昔のことのように感じる……。
――日々様変わりするシーンを横目に過去を振り返っていただく企画になります! 2010年のTIFについてどんな記憶がありますか?
相沢:初回はたしか、でんぱ組じゃなくてディアステージ・オールスターズとして出たんですよね。会場は宴会場みたいなところで。
――グランドプリンスホテル新高輪の宴会場ですね。
古川:そうそう、品川だったんですよね。ももクロちゃんがトップバッターくらいに出てきて、百田夏菜子ちゃんが「TIFは私たちから始まる!〈行くぜっ!怪盗少女〉!」と言って始まったのはめちゃくちゃ覚えてます。あれはでんぱ組でもやりたいと思っていて、いつかのHOT STAGEのトップバッター出たときに「TIFはでんぱ組から始まる!〈でんでんぱっしょん〉!」って丸パクリしました(笑)。
――そんな熱いオマージュをしていたんですね!
古川:じつは元ネタはそれでした。
相沢:当時の私たちはまだ衣装らしい衣装もなくて、Tシャツにパニエみたいな恰好で出たよね。
古川:伝説として何年も語り継がれている“エンディングに出られない事件”のときだ。
――エンディングは出演者全員でメインステージに立つ流れだったにもかかわらず、みなさんは待機したまま呼ばれなかったという。
相沢:私たちって認識されてなかったんだというショックがあったよね(笑)。
古川:きっと好意で出させてあげるよってことになったと思うんですけど、急遽宴会場からステラボールまで連れていってもらって、裏で待っていたら、バニビさんとか腐男塾さんが「お疲れさまでーす」って出てきて、これは終わってる雰囲気ですよね、と(笑)。その場にいたアイドルさんは泣き出すわ運営さんはケンカするわで阿鼻叫喚のなか、私たちは泣きもせずに帰りました。
相沢:なにが起きたのかすらわからなかったから、じゃあ帰ろっか、って。そのときはただ帰ったんですけど、だんだんみんな沸々としてきて、出れないなら出れないって言ってくれないかな……でもよかれと思って誘ってくれたんだろうしな……悔しいよな……みたいな思いでしたね。いまとなってはこうやって語り草にできているので、いい経験だったなと思うんですけど。
――ネタとして何度もこすり続けられますし(笑)。
古川:もう一生怒ってます(笑)。ただ、当時のことはそのことと、ももクロちゃんくらいしか覚えてないんですよね。
――古川さんのブログによると、「アイドルボウリング」にも参加しているようなんですよね。
古川:全然覚えてない、なにやったんだろう? ちょうどこの前、品川のボウリング場に子供と行ってきたんですよ。じゃあTIFぶりに行かせていただいたんですね(笑)。
相沢:ライブはたしか、そこまで照明もちゃんとしてなくて、そんなにお客さんも多くなかったのもあって、しっかり宴会場だなと思った記憶はあります(笑)。その頃のでんぱ組って、ディアステージで「なんでアイドルをやるの?」って言われてた時代だったと思うんです。だからアイドル現場に行くとなるとお客さんが来てくれないときも多くて。アニソン現場に行っても「アニソンではない。アイドルじゃん」となるし、自分たちでもどうしたらいいかわからない時期だったと思います。TIFに自分たちのお客さんを呼ぶこともあまりできてなかったのかもしれないですね。
古川:店舗系アイドルだったので、TIFに来ていたアイドルファンからしたらきっと異質でしたよね。私たちのファンからしたらどアウェイの戦場に行くみたいな感じだったんじゃないかなと。数人の濃いオタクの人が頑張って声を出してくれる、みたいな。
関係者人気キボンヌ
――2010年当時、シーンがこれから盛り上がるということを肌で感じる場面はありましたか?
古川:私は流行りとか関係なくアイドルをやりたいから始めたタイプなんですけど、そもそも当時は流行ってると思ってなかったかも。
相沢:たしかに。私はアイドルって大きな事務所でしかやれないことだと思っていて、地下アイドルはほんの一部だったというか。
古川:地下アイドルも盛り上がってはいたけど、TIFとかとはまた違う世界だと思ってたな。
相沢:やっぱり芸能人がやるもので、自分たちのいる場所とはかなりの乖離がありましたよね。未鈴ちゃんはやりたいアイドル像があるけど、ただそれに付いていった私みたいな人からすると、はたしてこれがアイドルなのかなという感覚はあった。TIFも、わからないけど出てみようみたいな感じだったと思います。それこそももクロちゃんとかの名前は知ってたけど、直接ライブを見るのは初めての人ばかりだったし、当然、一緒に写真撮るとかもなかったですし。
古川:私は全員敵だと思ってましたけどね。気合いだけはありました。
相沢:この頃の未鈴ちゃんこわかったよー。
古川:交流なんてもってのほかです(笑)。あと、でんぱ組はオタ芸文化があったんですけど、じつはアイドル文化とかけ離れていたんですよね。サンダースネイクなんて誰もやらないじゃないですか(笑)。でんぱのファンはみんなやるので、オタクと一緒に見せつけたい、みたいな気持ちでライブしていた記憶はあります。
――そこから2年ほどで状況が劇的に変わったということですよね。2012年にはTIFのHOT STAGEに立っています。
古川:駆け上がってますね!
相沢:トイズさんでデビューするのが決まったのが3・11の日で。一緒に動き始めてからはどこでも出るようになったし、オタクもどこでもついてきてくれるようになったんです。アート系のイベントに出たりとか、わけのわからないライブをいっぱいやってたんですよ。
古川:この頃、“関係者人気”というワードを死ぬほど聞いた記憶があります(笑)。perfumeさんもももクロちゃんも関係者から火がついたんだ、それを狙うぞ、みたいな。このあたりからオタク=オシャレみたいな雰囲気が出始めて、もふくちゃんがとにかくオシャレでかっこいいサブカルみたいな感じを打ち出してくれて。私はサブカルとかが一切わからなかったけど、オシャレな人のことを聞いておけばきっとオシャレなんだろうと思って、与えられたものを150%でやろうと思って、アートなコラボとか、渋谷の路上でオザケンを歌うとかを頑張って。そうしたら、注目浴び始めたんかな、という手応えを少し感じるようになりました。
相沢:私たちが秋葉原でやっていたことを場所だけ変えてあちこちでやり始めたんですけど、例えば六本木の蔦屋書店でやっても、お客さんたちが全然日和らないんですよ。それがめちゃくちゃ心強かったです。正直、自分たちがなにをやっているのかは半分くらいしか理解できてないんですけど、お客さんを含め秋葉原から全部を持ってこられたから、色んな人たちに見てもらえる機会に繋がったんだと思います。
――そういう方向に舵を切ったのは、もふくちゃんが周囲と同じことをやっていてはダメだと思ったからで、そのきっかけのひとつとして、それこそTIFのフィナーレに出られなかったこともあったみたいですよね。
古川:TIFは大好きなんですけど、やっぱり身が引き締まるというか、見せつけてやります系の気持ちで出てました。どこか殺気立っていたというか、たとえば@JAMとかとはちょっと違う心持ちでやっていたと思います。それはやっぱり、初期の頃、めちゃくちゃ受け入れられてなかったからなんですよね。そのときの悔しさがずっと残っていた。だから戦いの場だし、1年に1回、見定められる機会だと思うから手の抜けない現場でもあるし、まさに戦国時代じゃないけど、ボーッと角笛が吹かれるなか、行くぞ!みたいな気持ちだったんですよね。
相沢:ヘタなワンマンよりも緊張したよね。声出しがほかの現場のときと違ったし。
古川:あのリーダー相沢先生が「よっしゃ全員ぶっ倒していきましょうか」って言ってたもんね。私も過激派だったので「いけいけー!」って乗っかって(笑)。
――裏ではそんなことになっていた(笑)。でんぱの動きはメインに対するカウンターだったと思うんですけど、それがいつしか広く受け入れられるようになった感覚はありましたか?
古川:私はハロプロに憧れていた人間なので、どんなに売れてもああはなれないんだろうなとは思ってました。どんなに頑張っても鈴木愛理になれない。昔、共演する機会があったとき、「ハロプロやりたかったなぁ」って楽屋でボソッと言ったら夢眠ねむさんに肩パンされて「てめえはでんぱ組.incなんだよ!」って言われました。
相沢:本気でケンカしてたね。
古川:暴力で諭された(笑)。これが世にいう肩パン事件です。結局、私はこれしかできなかったんだと思うし、ハロプロにしたってAKBさんにしたって大手だなという気持ちはずっとありましたよ。
――大手とは違うんだと思いつつ、シーンを大きく動かしたのは事実で。代々木第一体育館でライブをしたりしたわけですよ。
古川:すごいっすね……。
――まるで他人事じゃないですか(笑)。
古川:あの頃、自分たちが売れてたなんてわかってなかったんですよ。売れてたら渋谷の街なんて歩けないと思っていたので。でも、めちゃくちゃ歩けたから。
相沢:電車にも全然乗れたしね。
古川:超普通だったよね。私の想像する有名というのは、テレビで見ない日がないくらいの存在だったんですよ。
――でも、尋常ではないくらい忙しかったわけで。
古川:どうだったんだろう? 私は忙しくてつらかったという経験が一度もないので。活動の忙しさについてはメンバーそれぞれあったと思うけど、私は楽しくて楽しくて仕方がなかったです。でんぱ組が有名になればそれでいいっていう気持ちしかなかった。
――取材させてもらっていた身からすると、古川未鈴という人は自分に対してストイックで、殺気立っていたような印象すらあります。
古川:それはミキティー本物さんにも言われました。「昔の未鈴は人を殺す目をしていた」って(笑)。出産後にお会いしたんですけど、「本当に顔が優しくなったね。いまのほうが全然かわいいわよ。昔のあんたマジで目がヤバかったから」って。そんなんだったかなと思いつつ。
相沢:でもたしかに、私は未鈴がアイドル活動においてイヤだな思うようなことはしたくないと思ってたな。私にとって最初のアイドルは未鈴ちゃんだったし、かっこいいなと思ったのも未鈴ちゃんだったので、これがかっこいいアイドルなんだろうって思ってたんですよ。だから私も忙しいのは大好きだったんですけど、唯一、テレビだけは自信がなかったんですよ。最初はみんなで頑張らないといけないと思ってたけど、数をこなすなかで段々とねむとかもがちゃんとかがメディアでそれぞれ得意なものを見つけていってくれて、適応できていったんですよね。芸人さんとかに対してはめちゃくちゃ緊張してたな。こっちはただの人間なんです、なんならただのオタクなんですってビビってました。
取材・文/南波一海
古川未鈴プロフィール
ふるかわ・みりん 9月19日生まれ、香川県出身。2009年「でんぱ組.inc」として活動を開始。今年1月に16年の期間を経てエンディングを迎えた。現在は育児をしながら、ゲーム配信を中心にストリーマーとして活躍中。
相沢梨紗プロフィール
あいざわ・りさ 8月2日生まれ、大阪府出身。「でんぱ組.inc」の初期メンバー。在籍時はリーダーを務めた。エンディング後の現在は、ボーカルユニット「LAVILITH」や、ファッションデザイナー、声優などマルチに活躍中。










