【追悼・永島勝司】週刊ゴング元編集長・金沢克彦が語る「“新日vsU”伝説の裏に暗躍した仕掛け人」(後編)

撮影=編集部
大仁田という劇薬
――長州力絡みだと、現役復帰しての大仁田との電流爆破マッチ実現というのもありましたけど。大仁田の新日本参戦を仕掛けたのも永島オヤジですか?
金沢:これは書いてもいいですけど、大仁田参戦は『ゴング』です。
――えっ! 『ゴング』が裏で動いてたんですか?
金沢:大仁田本人から『ゴング』のFMW担当記者に相談があったんですよ。「新日本担当の金沢は長州と親しいんだよな? 俺は本気で新日本に上がりたいと思ってるから、感触だけでも探ってもらえないか?」って。それでボクがその伝言を受け取って、地方大会でたまたま長州さんと二人きりで話す機会があった時、「大仁田厚が長州さんと試合がやりたいそうですよ。もうヒザがボロボロでさすがにこれ以上は選手生活は続けられないので、最後に自分をボロクソに言った長州さんと試合がしたいって言ってました」って、伝えたんです。そしたら長州さんが、「なんだ? 大仁田はおコメ(お金)がないのか」と言って、ちょっとニヤッと笑ったんです。笑ったということは拒絶じゃないんですよ。
――わずかながらに「脈あり」と。
金沢:それまでは、インタビューの質問で「大仁田厚」の名前を出しただけで激怒していたのに、ちょっとニヤッと笑って。「金沢、そういう話は永島に振れよ」って言われたんで、「じゃあ、聞いてみますね」って、その日はそれだけでその場を離れて。帰社したあとFMW担当には「頭から拒絶はされなかったので、もしかしたら可能かもしれないよ」っていうことを伝えてもらったんですね。
――長州と大仁田の間に、『ゴング』のFMW担当記者と金沢さんがいたんですね。
金沢:で、長州力の反応を伝え聞いた大仁田厚は、今度は竹内宏介(『ゴング』代表)さんに相談したんですよ。竹内さんはFMWの名付け親だった関係もあったので。それで大仁田厚が、これまでの経緯と自分が新日本に上がりたい気持ちを竹内さんに話して、それを聞いた竹内さんから永島さんに正式に話が行って、それで新日本が大仁田参戦を本気で考え始めたんです。
――大仁田厚ってハチャメチャなイメージありますけど、アポなしで突入したUインターとは違って、ちゃんと丁寧な根回しをしての新日本参戦だったんですね(笑)。
金沢:あの時期、なぜ新日本が大仁田厚の参戦を認めたかというと、要は東京ドームを満員にさせる爆弾カードがなくなりかけていたんですよ。
――なるほど。天龍源一郎参戦やUインターとの対抗戦は大ヒットでしたけど、それに続くものがもう残ってなかったんですね。
金沢:じつは並行してヒクソン・グレイシー参戦の交渉を進めていて、対戦相手候補の中西学は、母校・専修大学のレスリング部でそれ用の練習も進めていたんですけど、結局、ヒクソンの奥さん(当時のキム・グレイシー夫人)が最終的にNGを出してなくなったんです。だから大仁田厚という劇薬を新日本は飲んだわけですよね。
――なるほど。そういう経緯があったわけですね。でも、この大仁田参戦は新日本オーナーだった猪木さんの意にそぐわないもので、そこから猪木ー長州・永島の見えない対立みたいなものが生まれるわけですよね。
金沢:(99年)1・4ドームの小川直也の橋本に対する暴走もそれがあったからとも言われていますからね。
取材・文/堀江ガンツ
金沢克彦プロフィール
1961年北海道生まれ。青山学院大学卒業後、1986年新大阪新聞社に入社、「週刊ファイト」記者となる。1989年、日本スポーツ出版社に入社し「週刊ゴング」編集部入り。新日本プロレス担当記者として頭角を現し、1999年「週刊ゴング」編集長に就任。2005年に同社を退社後は、プロレス番組の解説や各種媒体への寄稿などで活躍。著書に『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島SUGOI文庫)、『元・新日本プロレス』(宝島社)ほか。
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