2025-05-22 18:00

【吉田豪インタビュー】渡辺俊美、頑張らないこそ築けたキャリア

渡辺俊美
渡辺俊美
撮影/河西遼

袴でロンドンナイト

――パンクバンドをやってたのは地元の頃?

渡辺 そうですね。中学校のときはフォーク。一番上の姉ちゃんが6つ違うんで、その彼氏がキャロル(注4)とかChar(注5)さんとかハードロックとか聴いてて。でも、そのセンスはあんまり好きじゃなくて。教えてもらうのは教えてもらったけど、なんか違うなってずっと思ってて。自分は何が好きなんだろうって探ってたら、『宝島』を読み始めたんで、RC(サクセション、注6)とかそっちのほうを好むようになって。そこから趣味的なものが変わっていって。でもRCを好きな人って周りにそんないなかったし。あの時代って、やっぱジャパメタとか。44マグナム(注7)とかラウドネス(注8)とかだったんで。みんなテクニックのほうに走るというか。

――あの時代はメタルかフュージョンかで。

渡辺 うん、フュージョンも気持ち悪いんですよ。メタルもなんかくさいし。カッコだけはパンクで、ベースボーカルでそういうのを仕方なしに、バンドやりたかったんです。

――それがザ・シャムズなんですか?

渡辺 いや、シャムズは東京に来てからですね。たまたまバイト先で知り合って、ドラムいないからドラムやってって言われて。

――それってボクが知ってる、インディーでレコードも出したシャムズ(88年に7インチシングル『LET’S START NEW LIFE』をリリース)とは別のバンドなんですかね?

渡辺 いや、それです。1枚だけですけど、レコーディングでは僕ドラム叩いてます。♪ニューライフニューライフってシングル。

――あ、ボクも当時買ってますよ!

渡辺 それ僕ドラムです。レコーディングだけして、レコーディングの1週間後ぐらいに社長から「ラフォーレの店やらないか? 僕は隠居するから」って言われて、「やります!」と。で、そうなると毎日働かなきゃいけないし、バンドやめさせてって感じで頼んで。それで、俺の代わりに田舎の後輩のZEPPET STORE(注9)の世治をドラムに入れたんですよ。だからジャケット写真には世治が写ってます。ヤツはぜんぜんパンクじゃないけど、無理やりメンバーにさせたんですよ。

――今回の取材前に一応ジャケは確認して、これは違うかなと思ってたんですよ。音楽的にはストレートなパンクバンドでしたよね。

渡辺 初期パンみたいな。メンバーがそのあとシャブ漬けで飛ぶんですけど(笑)。

――ダハハハ! シャムズ時代はふつうに対バンイベントとかも出てたわけですよね。

渡辺 そうですね、にら子供(注10)とか、いまだにいるけどクラック・ザ・マリアン(注11)とか。

――ヘタしたらボク、観てますよ、シャムズ。写真も撮ってるかもしれない。話を戻すと、大学で剣道をやめて新たなサークルに入ったことで運命が変わっていくわけですね。

渡辺 そうですね、プロデュース研究会。

――一気にチャラいほうに(笑)。

渡辺 そうそう(笑)。国士館で一番チャラいサークル。その先輩が、この前(エリック・)ヘイズ(注12)とか呼んでるんですけど、XLARGEとかやってる社長ですね。プロデュース研究会の研修で行ったのがロンドンナイト(注13)で。

――研修だったんですね。

渡辺 そう、サークルの(笑)。当時はツバキハウス(注14)もまだやってた時期だから。

――なぜかガーゼシャツに剣道の袴を履いてロンドンナイトに行ったんですよね(笑)。

渡辺 ハハハハハ! まだ残ってたんですよ。ギャルソンとかそういうの買えなくて。

――太いパンツを。そのとき、剣道漬けの生活とは違う衝撃を受けたわけですよね。

渡辺 ぜんぜん違う。そのときかな、俺もこの仲間に入りてえと思って。そこでビリヤードやったり、どうすればそこに行けるのかなっていう近道を探してたような気がします。

――バンドやるなのか、なんなのか。

渡辺 うん。だけど、とりあえず国士館はやめるべきだっていう選択があって。

――国士の世界とはあまりにも真逆だから。

渡辺 真逆だから。それで原宿で働けばそういう匂いの人とか仲間が増えるんじゃねえかなっていう単純な発想ですね。

――大貫憲章(注15)さんとの対談で、「当時はケンカもしょっちゅうあったね」みたいな話の流れで、「僕はたまにしたけど」ぐらいの感じで逃れてましたけど、実際はどうでした?

渡辺 ハハハハハ! なんか理不尽だもん、結局ああいうのって。相手のことを知らなかったらやる、みたいな。後輩とかは俺の知り合いでもやってましたけどね。「知り合いだからやめろ」って言っても。みんなやりたくてしょうがなかったんでしょうね(笑)。

――ダハハハハ! 血気盛んで(笑)。

渡辺 それを常に止めてたのが僕だったんで。暴れん坊を止めるということは、そういう感じで周りからは見られてたと思います。

――止められるだけの胆力がある。剣道で鍛えて、何かあっても目を閉じないし(笑)。

渡辺 そうですね、ぜんぜん問題なかったと思うんですけど(笑)。変な自信ですよ。

――ロンドンナイトってロカビリー界隈の強い人や、いろんな人がいる世界ですよ。

渡辺 ちょうど●●●とかみんな同い年なんで。ロンドンナイトにもいて、そのあとツバキがなくなってクラブでDJゴングショーみたいなのやってて。タイニー・パンクス(注16)と大貫憲章チームとファンクマスター・ゴーゴーの小林径(注17)さんチームとか、いろいろそういうの盛り上がってたんですよ。そのときたぶん●●●はみんな大貫さんについてたと思う、暴れてて。そのときに仲良くなって。そこで下北とか、みんなこのへんなんだって。

――新宿から下北に移っても、まだそっちもバイオレントな世界だったわけですよね。

渡辺 バイオレントでしたね。でも僕はそんな危険な感じはなかったんだけど。そのあとのジュニアみたいな世代がすごかったんだと思う。だって渋カジ狩りとかしてたんで。

――うわーっ!!

渡辺 僕その当時ZOO(注18)で土曜日DJしてたんだけど■■■が日本刀持って来ました。

――……え! 

渡辺 いきなりジャックナイフ出して。

――それくらいの状況があったんですか!

渡辺 そうなの。書けるかどうかわかんないけど全部言うと、そういう渋カジ狩りをしに行ったヤツのお返しで、そいつらも土曜日にみんな来てたから、その仕返しに日本刀持って来ましたよ。いきなりジャックナイフがバーンと飛んできたんで、まあ無駄な抵抗はやめよう、と。そのとき従業員が拉致されて。

――拉致!! 

渡辺 当時はそういう状況にいたというか。そういうのをいろいろ●●●のチームが全部後始末して。どこまで終結したのかわからないけど、結局ZOOがなくなって新しくSLITS(注19)になったのはそれが理由なんです。

――そうだったんですか! 知らなかった。

渡辺 そうなんですよ、書けるかどうかわからないけど(笑)。SLITS本(07年発売の『LIFE AT SLITS』。元スリッツ店長・山下直樹&浜田淳・著)で意外とそこは言えなかったんですよ、ダークな世界だから。僕はそういう時代だと思ってるんで。

――ツバキの洗礼を受けていたから、ある程度はそういう世界にも対応できたというか。

渡辺 そうそうそう、ぜんぜんあるけど。さすがに拉致されてどうのこうのみたいなのがあったり、リアル『クローズ』じゃないけどおもしろい。そのときにいたんだってあとになって思うことがいっぱいありますけどね。

――あのとき関わっていた人たちが後にこんな報道されるぐらいになるとは、みたいな。

渡辺 そうそう(笑)。そこでちょっとは落ち着いて、SLITSもより音楽的になってクラブじゃなくてライブもするようになったのは、たぶんそういうことだと思うんですよ。

――たしかにボクも無邪気にロンナイ周辺の方のインタビューとかしてると、某DJの方が当時歌舞伎町でピストルで撃たれた話とかするわけじゃないですか。「あのとき撃たれてから歌舞伎町来てないんだよ」って言われて、「は!?」みたいな。当時のDJ文化ってボクの知ってるものと全然違うっていう。

渡辺 ハハハハハ! そう、ありますよね。それ連れてきたヤツも撃たれてますから。「持ってると思わなかったんだよ!」とか言って(笑)。すごい世界。いい時代ですよ。

――いいかどうかわからないですけど、とりあえずいろいろ鍛えられはするでしょうね。

渡辺 うん。だって、そのために東京に来たようなもんだし。刺激を求めて。

――結果、ちゃんと刺激は味わえて。

渡辺 もう充分。やっぱり変な意気込みみたいなのがあったんじゃないですかね。田舎ではそんなに友達も多くなかったし。後輩はいたけど、あんまり居心地よくなかった。

――それはまたどうして?

渡辺 なんでだろうね? やっぱり、この性格だから。先輩にも盾突くし、言うこときけないから。我が強かったんじゃないですかね。だから震災があって福島に行ってもそんなウェルカムな感じではなかった。「目立ちたいんでしょ?」「はい」って言って。

渡辺俊美プロフィール

1966年生まれ。福島県出身。90年に結成されたTOKYO No.1 SOUL SETのギター、ヴォーカル、サウンド・プロダクション担当。00年にはソロプロジェクトTHE ZOOT16を経たバンドスタイルの渡辺俊美&THE ZOOT16、10年には山口隆・箭内道彦・松田晋二とともに猪苗代湖ズを結成。22年からは帽子を軸としたハットブランド「HEADS」を手掛けている。

記事注釈

(注4)キャロル…72年に結成された矢沢永吉がリーダーを務めたバンド。75年に解散。 

(注5)Char…55年生まれのギタリスト、ソングライター、プロデューサー。88年にSOUL SETも所属しているレーベル「江戸屋レコード」を立ち上げた。 

(注6)RCサクセション…68年に忌野清志郎を中心に結成されたバンド。91年から無期限活動休止となり、09年の忌野の死去により事実上解散。 

(注7)44マグナム…77年に結成されたジャパニーズヘヴィメタルの先駆けとなったバンド。83年に『DANGER』でメジャーデビュー。

(注8)ラウドネス…81年に結成。モトリー・クルーの前座として、日本のバンドで初めてマディソン・スクエア・ガーデンに立つ。08年のドラマー・樋口宗孝の他界後も精力的に活動中。 

(注9)ZEPPET STORE…89年に結成。インディーズ時代にX JAPANのhideに見出され、彼のバックアップのもとアルバムをリリース。

(注10)にら子供…80年代半ばに結成されたハードコア・パンク・バンド。バンド名の由来は、プチダノンのCMで子供がホワイトボードに「にら」と書いていたことから。 

(注11)クラック・ザ・マリアン…84年に結成。96年に活動休止するも、結成40周年の今なおライブを中心に活動中。 

(注12)エリック・ヘイズ…61年生まれのアーティスト。ストリート、ヒップホップシーンの中でグラフィティデザイナーとして頭角を現し、ビースティ・ボーイズなどのアルバムアートワークなどを手掛けた。 

(注13)ロンドンナイト…80年に音楽評論家の大貫憲章が始めたロック・パンクを中心に選曲したDJイベント。毎週火曜にツバキハウスで行われていた。 

(注14)ツバキハウス…75年に新宿テアトルビル5階にオープンしたディスコ・クラブ。

(注15)大貫憲章…51年生まれの音楽評論家、DJ。立教大学在籍中の71年から執筆活動を開始。 

(注16)タイニー・パンクス…85年に藤原ヒロシと高木完によって結成。いとうせいこうとの共同名義のアルバム『建設的』でデビュー。

(注17)小林径…日本のクラブシーン創成期から活動するDJ。ミックスCDシリーズ『Routine Jazz』が国内外から評価されている。

(注18)ZOO…87年に下北沢でオープンした下北ナイトクラブが、88年にZOOへと改名。 

(注19)SLITS…94年にZOOがリニューアルしてオープン。95年いっぱいで移転を期に閉店したまま、現在に至る。 

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