【吉田豪インタビュー】渡辺俊美、頑張らないこそ築けたキャリア

撮影/河西遼
吉田豪が渡辺俊美にインタビューを実施。TOKYO No.1 SOUL SETをはじめとするバンド活動に至るまでのお話を中心に、当時の東京と音楽シーンなどについて吉田豪が引き出します。
『剣道日本』と『ゴング』が先生
――今回の取材はBRAHMANのTOSHI‐LOW(注1)さんからの提案だったんですよ。
渡辺俊美(以下、渡辺) いや、なんでだよ(笑)。
――この前TOSHI‐LOWさんとイベントやって、バンドマンで喧嘩が強い人は誰だみたいな話題のときに俊美さんの名前が挙がって。「あの人はすごいから1回ちゃんと話を聞いたほうがいい」と言われたんですよね。
渡辺 ハハハハハ! そんなことない! ただ、吉田さんがやったTOSHI‐LOWのインタビュー超おもしろかったです。ハードコアのバンドの話もホントおもしろい。TOSHI‐LOWは知識ありますからね、勉強するし。
――そうですね。その知識があるTOSHI‐LOWさんが推薦してるわけですよ(笑)。
渡辺 違う違う(笑)。TOSHI‐LOWの兄貴分っていうか、茨城の悪党がいるんですよ。僕、ラフォーレで店をやったのがすごい早かったんで(20歳で独立)、そのセルロイドってお店の隣にあったアーミー屋さんの店長がTOSHI‐LOWの直々の先輩なんですよ、コブラ会っていう悪党が水戸にいて、いまでも年イチで会うんですけど。それが悪党で、TOSHI‐LOWはそれの舎弟なんで。僕は彼と仲いいんで。悪党だとはぜんぜん知らなくて、たまたま僕の周りがみんな遊びに来てて、必然的にそれの親分みたいな感じで勝手に怖いって思われてたんだと思います。
――TOSHI‐LOWさんとの対談では「周りが悪かった」って話でした。「俺の先輩はみだらな人ばっかりだったから、両手縛って川に投げるような先輩ばっかりだった」って。
渡辺 そうそうそう、ホントに。歩道橋から川にポーンと落とすような人たちで(笑)。
――原宿の人たちが悪かったんですか?
渡辺 原宿も悪いけど下北も悪かったね。
――ああ、時代的にそうでしょうね。
渡辺 たまたま周りにそういうのがいたっていうのがあって。そのときは別に何とも思わなかったけど、ずっと気にかけてたんでしょうね。高校卒業してすぐ国士館入ったんで。
――その選択の時点でどうかしてるんですよね、剣道の実績で国士館大学に入るのって。
渡辺 早く東京に来たかったんですよ。
――それはわかるんですけど、そこで国士館を選ぶバンド関係者ってまずいないですよ。
渡辺 ハハハハハ! だけど1コ上にギュウちゃんいるから、ギュウゾウ(注2)さん。
――ギュウゾウさんは右翼です!
渡辺 下にマキタスポーツ(注3)もいますけど。
――一応確認しておくと、当時の国士館がどういうものかはわかってたわけですよね?
渡辺 わかってました。剣道の先生だいたい国士館ですから。インターハイに行ったとき、僕は個人で行ったんですけど、同じ福島県の女子の個人の部の監督が国士館出身で。その先生と「一緒に風呂入ろう」って言われて、「体洗え」ってチンコまで洗ったり。
――そこまでやるんですか!
渡辺 そう(笑)。そしたら「おまえ大学決まってんのか?」って言われて、「決まってないです」「何したいんだ?」「どこでもいいんで東京に行きたいです」「じゃあ国士館に推薦状書いとくから」って。それで夏休み入る前に推薦決まって。ただそれだけです。
――先生もいないまま独学でインターハイとか国体に出ていたのもどうかしてますよね。
渡辺 そうなの。少年団には入ってたんですけど、中学校高校は先生いなかったです。『剣道日本』見て、あと『週刊ゴング』と。
――『ゴング』は役に立たないですよ!
渡辺 ハハハハハ! メンタルとロマンを鍛えてました。プロレス大好きです。あのとき、なんか自分で研究してたんでしょうね、勝つためにはどうしたらいいかとか。
――それで人間は目を閉じている時は攻撃できないとか、息を吸っている時は攻撃できないとか、いろんなことに気付いたんですね。
渡辺 それで息を止める練習とか目つぶらないようにする練習とか、自分で切り開いたから変な自信があったんじゃないかな。だから東京に来てもなんとか、自分でそういうのを開拓するっていうか、習わなくても自力で勉強すればいろいろできるんじゃないかって。
――そして、もし揉めごとがあったとしても棒を持てばなんとかなるはずだし(笑)。
渡辺 なんとかなるし、それも短ければ短いほうがいいとかね(笑)。
――ダハハハハ! 梶原一騎先生の漫画で“剣道三倍段”って概念がよく出てきたじゃないですか。剣道の達人と互角に戦うためには、柔道とか空手なら三倍の段が必要だってことでしたけど、実際そうなんですか?
渡辺 いやわかんない。そんなに棒持ってやったことはないんで。ただ高校のときに暴走族の先輩に誘われたとき、「ホントにやっていいんですか?」って聞いたことはある。
――ダメですよ!
渡辺 「いや、半殺しで」って言われた。「本気でやっちゃダメなんだよ」って。「じゃあ行かないです」って。「竹刀じゃなくていいんですか? 木刀で?」みたいな会話はしたことあります。なので培ったものが変な自信になって、あとでいっぱい後悔はしてるんですけど。やっぱり習ったほうが間違わなくていいなっていうのがあって。でも間違った話のほうがおもしろいからいいかな、と。
――わかります。ちゃんとした先生に習って結果を出すのは当たり前ですからね。
渡辺 そうなんです(笑)。ちゃんとやってできなかったほうが最悪だから。
――上京するときに国士館を選ぶのも、話としてはおもしろいわけじゃないですか。
渡辺 そうなんですよ。その当時って新宿で飲むと国士館の格闘技なのかな、剣道部とか「お断り」って張り紙とかあったんですよ。
――いろんな問題を起こすから。
渡辺 あと飲み放題が多かったんですよ。まあすごかった記憶があるんですよね。
――昔と違って、いま国士館はだいぶ平和になったって聞いてますけど。
渡辺 平和でしょ、国のため、みたいな感じのもなくなってきたんじゃないですか?
――チャラいのがいっぱいいるみたいで。
渡辺 僕とかはボンデージパンツとか履いてったら日本が大好きな奴らが集うサークルみたいなのに呼び出されて、「そういうの履いてくるな! 国士舘にふさわしくない!」とか、すごい嫌な思い出しかないですね。
――入学式で仲良くなったと思ったヤツがすっかり風貌が変わって、国士になってて。
渡辺 そうそうそう、たれ目がつり目になってた(笑)。やっぱり大学に行ったら両親が喜ぶだろうな、みたいなのもあったんじゃないですかね。田舎はそうじゃないですか。
――下手に目立つと噂になる世界ですよね。
渡辺 そうなんですよ。だから、いいことと悪いことでもないけどバンドと、両方やってバランス取ってた気がします。いまもあんまり変わらないけど、そのほうが楽しいし。
渡辺俊美プロフィール
1966年生まれ。福島県出身。90年に結成されたTOKYO No.1 SOUL SETのギター、ヴォーカル、サウンド・プロダクション担当。00年にはソロプロジェクトTHE ZOOT16を経たバンドスタイルの渡辺俊美&THE ZOOT16、10年には山口隆・箭内道彦・松田晋二とともに猪苗代湖ズを結成。22年からは帽子を軸としたハットブランド「HEADS」を手掛けている。
記事注釈
(注1)TOSHI‐LOW…74年生まれ。BRAHMANやOAUのメンバー。
(注2)ギュウゾウ…64年生まれ。電撃ネットワークのメンバー。『ギュウ農フェス』を主宰。
(注3)マキタスポーツ…70年生まれ。芸人、ミュージシャン、俳優。剣道で山梨県の国体候補になるほどの実力の持ち主。