「リップサービス的に言ったら大ごとになったんだよ」黒の総帥・蝶野正洋が語った、新日本 vs Uインター対抗戦の真実

新日vsUインターの引き金
――ファンからすると、当時の闘魂三銃士はすでに立派なメインイベンターで新日本の若きスターでしたけど、第1回G1の時点ではそこまで自覚してなかったんですね。
蝶野:「時は来た!」の東京ドームも、あの日に北尾(光司)選手がデビュー戦やったってこのまえ聞いて、「すごい大会じゃん!」って。
――それも記憶になかったんですか! あの日は、史上初めて新日本と全日本の対抗戦が組まれたりした、ものすごい大会ですよ。その大会のメインに出場した選手に説明するのもなんですが(笑)。
蝶野:全日本と初めてやるのが売りだったんだ。カードは?
――ジャンボ鶴田&谷津嘉章vs木村健吾&木戸修です。鶴田さんが、後にも先にも一度だけ新日本に上がった日ですよ。
蝶野:あー、そのカードは覚えてる。それ、同じ日なんだ! 記憶がバラバラになってるよ。
――あとは、天龍さんと三沢さんのタイガーマスクが長州&ジョージ高野組と対戦したり、マサ斎藤さんがAWA世界王者になったり、スタン・ハンセンvsビッグバン・ベイダーもあの日ですよ。
蝶野:いやあ、すごいカードだね。柱が何本もあって。そんな大会のメインで、若い頃の俺と橋本選手は「時は来た〜!」とかやってたわけか(笑)。
――あれから35年経って、事の重大さに気づきましたか(笑)。
蝶野:本来、メインイベンターっていうのは、その時点でのプロレス界の状況やストーリー的な流れを把握した上で的確なコメントを残すべきなんだけど、あの頃の俺はまだ勉強不足というか。言葉の面でもトップとしての振る舞いができてなかったね。
――だから伝説の10・9東京ドーム、新日本vsUWFインター全面対抗戦から今年で30周年なんですけど。新日本とUインターの因縁が始まったそもそもの発端は、蝶野さんのコメントですよね?
蝶野:そう。俺のうかつな発言ね(笑)。
――あの時は、G1クライマックス二連覇を果たして、復活したNWA世界ヘビー級王者にもなった蝶野さんが、『週刊ゴング』のインタビューで「髙田(延彦)さんと闘いたい」と発言したのが大ごとになったわけですけど、あれはどういった意図での発言だったんですか?
蝶野:あれはG1で優勝したあとの取材だったんだけど、『ゴング』が普通の優勝者インタビューじゃなくて、俺がやんちゃしてた(暴走族)時代の写真を載せて、それを特集でやろうとしてたんで、俺が当日になって「嫌だ」って断ったんだよ。そしたら代わりに何か大きな見出しになる発言をしてくれってことになって。当時は髙田さんが勢いあって注目されてたし、俺は若手の頃から髙田さんのことは尊敬してたから、「実現したらおもしろいんじゃないか」みたいなことをリップサービス的に言ったら、Uインター側がアポなしで新日本の事務所に対戦要求に来ちゃって、それで大ごとになったんだよ。
――ちょうどUインターが、ルー・テーズさんがNWA世界王者時代に巻いていたチャンピオンベルトを復活させて、髙田さんがプロレスリング世界ヘビー級王者を名乗り始めたタイミングだったんですよね。それで『ゴング』での蝶野さんの発言を受けて、「どっちが真の復活NWA世界王者か決めましょう」ということでアポなしで来ちゃったという(笑)。
蝶野:そうそう。だから多分、向こうもこっちのビジネスのデカさがわかっててちょっかいかけてきて。売名行為的なことを狙ってるところに、俺が格好のネタを投げちゃったんだよ。
――G1を二連覇したNWA世界王者が餌をまいたら、そりゃ来ちゃいますよね(笑)。
蝶野:そもそも俺は、NWA世界王座がなんで新日本で復活したのか、その理由も意図も分かってなかった。NWAっていうのはもともと、猪木さんが新日本を旗揚げした当初から提携したかったけどずっと取れなかったブランドだったんだよね。
――NWAが「世界最高峰」と言われていた昭和の時代、NWA世界王者の招聘は、ライバルであるジャイアント馬場さんの全日本に独占されていたわけですもんね。
蝶野:そして90年代初頭っていうのは、WWF(現・WWE)がエンターテインメント路線を進めていた時期で、WCWはそれに対抗するために新日本のストロングスタイルも取り入れよう、と。そのために92年の第2回「G1」はWCWとの混合トーナメントになって、優勝者が復活NWA世界ヘビー級王者になり、新日本とWCWを股にかけて防衛していく、と。それで最終的にはWCWと新日本の連合軍が、アメリカでWWFと興行戦争、覇権争いをしていく。そのためにマサ(斎藤)さんなんかが早くから動いて、2年ぐらいかけたビッグプロジェクトだったらしいんだけど、俺は何も聞かされてなかったんだよ。
――だからこそNWA世界王者になったものの、これから何をするのかわかってなかった(笑)。
蝶野:新日本ってそういうアングル的な伝達がないんですよ。ブルース・リーじゃないけど、「感じ取れ」みたいなさ。
――そこは説明してほしいですよね。
蝶野:もっと言えば、G1に2回目があることも直前まで知らなかったからね。当時の俺はとにかく首のケガがひどくて、G1を全日程なんとかやり終えたあとは、翌日すぐ治療に行って、あとは「早く休みたい」ということしか考えてなかった
――でも本来はG1に優勝して、NWAのベルトを獲ってからがスタートで、日米を股にかけて防衛しなきゃいけなかったわけですね。
蝶野:そう。なのに俺は、首のケガでまともに防衛戦もできない。おまけに「髙田さんとやりたい」とか関係ないこと言い出して、新日本とWCWが進めてきたプランを台無しにしちゃったんだよね。それが今になってわかったんだけど、あの時よく長州さんやマサさん、猪木さん、坂口さんも含めて、俺を怒らなかったな、と。もし俺が現場監督の立場で、自分のところの若いチャンピオンがそんな勝手な発言してたら、「てめえ、ふざけんな。何様だと思ってるんだ!」って俺は注意してると思う。
取材・文=堀江ガンツ
――インタビューの続きはこちらから……「武藤との宿縁」

蝶野正洋プロフィール
1963年、アメリカ・シアトルに生まれ、東京都で育つ。1984年新日本プロレスに入門(武藤敬司と同日)。1987年より海外参戦を経て、1989年秋に本格帰国。同期の橋本真也、武藤敬司とともに「闘魂三銃士」として世代交代を猛烈にアピールした戦いを繰り広げた。90年から本格的にメインイベンターとして活躍。91年、92年、94年と夏のG1 CLIMAXを制覇し「夏男」と呼ばれる。その後、nWo、TEAM2000結成などでヒールとして人気を集めた。2017年プロレス休業宣言を行い、現在はタレント活動など幅広く活躍している。

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