【吉田豪インタビュー】かつての「神童」が母親に「壊れた」と思われ、スチャダラパーとの出会いから「かせきさいだぁ」になるまで

撮影/河西遼
7月30 日に、傑作3rd アルバム『SOUND BURGER PLANET』が初のアナログリリース決定! 90年代日本語ラップブームからやや外れた場所から「人のおかげ」で独自のスタイルに流れつき、サバイブしてきたかせきさいだぁの半生を深堀りする、吉田豪のミュージシャン連載インタビュー再録&抜粋です!
天才との遭遇
かせきさいだぁ 前に(渡辺)俊美(注1)くんも出てるんだ。
――俊美さん回はなぜか物騒な話になって、●●●●というフレーズが連発してますね。
かせきさいだぁ ハハハハ! それは恐ろしい!
――スチャダラパー(注2)のシンコさんがさらわれた、とか全然知らなかったから驚きました。
かせきさいだぁ さらわれたことなんてあったんですか! 僕はそういう人からぶん殴られそうになった。「足を踏んだヤツがいる、並べ!」って言われて。で、「覚えてないんだったら無理じゃないっすか? 名乗り出ないでしょ」って言ったら、「じゃあおまえでいいからぶん殴る」「それは話が違いません?」みたいなことを言って。すごい嫌でしたね。
――でしょうね。そういうのと違う世界で楽しく夜遊びやろうとしていただけなのに。
かせきさいだぁ そうなんです、こっちはそういうんじゃないところに行きたくてやってたのに。
――本題に入ります! かせきさんとは趣味の話ぐらいしかしてないので、てっきりボクと同じでロクに勉強しないでテレビ観まくってプラモ作ってた子供かと思ってました。
かせきさいだぁ ホントそっちでしたよ。
――いや、ぜんぜん違うエリートじゃないですか! 小学校から生徒会長だったりして。
かせきさいだぁ ハハハハハ! 小学生までは神童でしたね、まあ自分で言ってるだけなんですけど。学級委員とかも全部やらされてたから、劇とか出た記憶がないんですよ。進行のほうをいつもやらされて。運動会でやるゲームとかも3年生までは出てたのかな、でも4年生からはそういうの一切やったことない。準備もずっと暗くなるまで学校でやらされて。
――ボクがテレビで再放送を観まくってるときにそういうことをやってたわけですよね。
かせきさいだぁ そうです。プラモ作りたいし犬の散歩も行きたいし。真っ暗になったら行けないじゃないですか。だからプラモは寝る直前、宿題を適当に終わらせてから寝落ちするまでプラモ作るって決めて、だから毎日こうやってプラモの上に顔乗っけて寝てましたね。
――学校行事の会長挨拶とかもやって。
かせきさいだぁ そうそう、そういうのもすごく嫌で。原稿用紙1枚半を暗記させるんですよ。
――原稿を読んじゃいけないんですか?
かせきさいだぁ 読んでいいでしょって思うんだけど。その原稿も何回も直させられて、結局自分の言いたいことなんかひとつもないような、よくある形にさせられて、それを毎回覚えろって言われて、覚えるためにカセットテープに録音したのを毎日聞いてっていう。
――地獄じゃないですか(笑)。
かせきさいだぁ 地獄でしたよ! 子供のときホント地獄で、それが中学ぐらいまで続いて。中学は会長じゃなかったから少しは楽できたんですけど、それでも生徒会役員だったから、中学の三者面談のとき先生が「おまえは地元の高校に入れ。その高校に入ってみんなを引っ張っていけ」と。1校しかないんですよ。まだ俺は引っ張らなきゃならないのかと思って。引っ張るも何もないんですけどね、みんなが嫌がる仕事をやらされてただけなんで。そして将来的には「地元の役場に入っておまえが町長になってみんなを引っ張っていけ」って。一生俺を縛りつけるのかと思って怖くなって高校は誰も知らないところに行って、3年間すごくおとなしく爪を隠して(笑)。
――おとなしくプラモデルを作って(笑)。
かせきさいだぁ もう好きなことだけやりました。高校1年目はホントにプラモとつげ義春と水木しげるの漫画しか読まなくて。それ見た母親が、この子は壊れたと思ったらしい(笑)。それで「絵の学校行きたい」って言って、そのおかげで毎日絵を描いて過ごせたんです。
――そして桑沢デザイン研究所(注3)に入る、と。
かせきさいだぁ そこにスチャダラパーのボーズがいたのがデカかったですね。すごく助かった。とにかく身近に天才ラッパーがいたから。
――あの年齢で脚光を浴びていた人が。
かせきさいだぁ だって知り合ってすぐ家でMTRでシンコが作ったデモテープもらったけど、ファーストアルバムとほとんど同じでしたよ。
――スチャダラの初ライブも観ていて。
かせきさいだぁ そう、初ライブ。文化祭でもバンドブームで、桑沢に入ったらラップやるヤツがいるってちょっと噂になってて、初めてラップするらしいっていうから観に行って。それがスチャダラパーで。ボーズは顔立ちから声からすごい目立ってたから、あいつがキーマンだなっていうのはわかった。小さい頃にテレビや写真でYМO(注4)を観て、細野(晴臣)さんがキーマンだなって思ったときみたいに。それでボーちゃんとこすぐ行って話しかけて、「次のイベントはないのか」って聞いたら、「次は年末にパーティーやるから」って言われて、僕もすぐそれに出てちょっとラップして。
――それで無理やりデビューライブを決めちゃったわけですか、出させてくれって。
かせきさいだぁ 無理やり。それでTONEPAYS(注5)を組んで。ボーちゃんと家が近所だったんで、しょっちゅう遊びに行ったり来たりしてて、ラップのことも相談したりして。ホントに桑沢に行ってよかったと思いますね。いまでも親友だし、ずっとボーちゃんと一緒にいるような生活してましたね。で、桑沢以外でも人は集まってくるんですよ。川辺(ヒロシ)くんがスチャダラパーのライブで桑沢に遊びに来たり、ナイチョロ亀井の同級生だったタケイグッドマン(注6)もヒップホップに興味あるって言ってて。そうやってどんどんヒップホップ好きのヤツが集まったんで、誰かの家でみんなでビデオ観たり毎日やってましたね。
かせきさいだぁプロフィール
1968年生まれ。静岡県出身。「TONEPAYS」の解散後、94年に1人で「かせきさいだぁ」として活動開始。96年に1stアルバム「かせきさいだぁ」でメジャーデビュー。その後、ワタナベイビーや小暮晋也、いとうせいこう、Dub Master Xらとともに複数のバンドを結成。音楽活動以外にも、アート個展の開催や4コマ漫画『ハグトン』執筆など多岐にわたる。
記事注釈
(注1)渡辺俊美…1966年生まれ。TOKYO No.1 SOUL SETのギター、ヴォーカル、サウンド・プロダクション担当。
(注2)スチャダラパー…88年に結成されたBose、ANI、SHINCOからなる3人組。90年に1stアルバム『スチャダラ大作戦』をリリース。今年デビュー35周年を迎える。
(注3)桑沢デザイン研究所…東京都渋谷区にあるデザインの専門学校。RHYMESTERのMummy-Dも大学卒業後に在籍していた。
(注4)YМO…78年に結成された細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人組テクノポップグループ。83年散開(解散)、93年の「再生」を経て、HAS、HASYMO名義などで活動を行った。
(注5)TONEPAYS…90年にかせきとナイチョロ亀井、光嶋崇の3人によって結成されたヒップホップグループ。93年に解散。
(注6)タケイグッドマン…かせきやスチャダラパー、ソウルセット、小沢健二、キリンジなどのビデオクリップやCDジャケットアートワークを手掛けたビジュアルディレクター。
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